八日町の河内屋さんのお向かいにございました楢舘弥三郎さんも、代々から酒醸造業に御旧家であんすが、岩泉町から八日町の夕日側に移ってからの当時は、二代目か三代目かと思います。
明治中頃の記憶では、現代の長崎屋デパート、青和銀行のあたりに、角に二代目楢舘弥三郎さん一軒おいて隣に三代目金入文吉さんのお店がそれぞれございました。
二代目楢舘さんと、三代目金入さんは、どちらも御養子であり、また代数も二代と三代と余り違いが無く、一軒おいて隣りあっているということで、この御主人方は非常に競いが商売の方に向いで、どちらも実にいい業績を上げられたお店でございました。
当時の人気とすれば、若干金入さんの方が上だったものでしょうか。一方は二代目であり、片方は三代目ということで、田地の所有高などからいっても金入さんの方が少し多かったようですし、またご商売向きも、楢舘さんは酒造一本で、まあ堅実ではございましょうが、町の噂にとってみれば面白みがなく、金入さんの方は、季節季節の商いで、鮫の船入場に汽船で入ったものを、品物は何であれ商うという、新進的な商売ぶりであんしたから、どうもこっちの方に人気があがったようでした。この金入さんと同時代に同じような商いをした方に槻門さんがございます。つい先年まで三日町の木村書店がござる場所で商いをしておりましたお家で、ここの創立は明治の四年とか伺っております。
金入さんの初代の方は、確か福太郎と申して、旧藩時代には逸見様、つまり現在の南部自治会館におすまいしていて、後に是川、新井田に移られだ南部様のお家に、非常なごひいきを得だ商人だったそうです。
その2
この南部様のお家の初代の方は、殿様のお兄様にあたる方だったように聞いでおります。御長男にお生まれになったこの方は、殿様を継がないで、弟様が何代目かの殿様になったという事情については、こういったことを伝え聞いでおります。
このお兄様な方は、体躯が余りに不均衡にお生まれになり、例えば三勤交代で江戸さ上がっても、どうも諸藩の方々と一緒に公儀さ出てお話が出来ない。おつむりが大きくって、正常なおすわりが出来ない、というような状態であったので弟様が殿様の位につかれ、南部自治会館のところのお屋敷に別居し、相当の待遇を受け、一家の家中としての一席を得だという話でございます。
そういった重いお家から金入さんの初代である福太郎さんは、御愛顧を得でいた訳ですね。
福太郎さんは、初めはごく些細なかつぎ屋程度の商いで、季節のものは何でも、秋は雁とか鴨とかいうもの、あるいは春先になれば鯛とかすずきとかと、あらゆる季節のものを扱った商売だと聞いております。噺家はよく、江戸の触れ言葉の色々を面白おかしくやるようでございますが、自分の商いを触れ歩くということは、なかなかに難儀なものなんだそうでしてね。金入さんのご先祖も、初めのうちは回りを見て誰もいないか、後を見て誰も来ないか、と心配りをして誰もいないのを確かめてから、触れ歩きの稽古をしたという物語がございます。物をうるための触れ言葉であれば、誰にも聞いでもらえなかったら肝心の商売になりあんせんのに、とおがしく聞いでおりますが、慣れない当人にすれば、やはり身も縮む思いだったんでしょうねえ。
その3
また金入さんのお話として記憶に残っておりますのに、一日に同じ品物が三度店さ来た、ということでございます。
というのは、秋が来て初物として鴨えお店さ飾っておいたら、どなたかがそれをお求めになっていきました。
一方、逸見様のお屋敷では、初物であれ何であれ到来物の多いお家で、それが食料品であり毎日の使用以上であると、今みたいに冷蔵庫などの便利な施設がない時代であんすから、台所ではお使いにならないからといって、それを金入さんのお店にお廻ししていだったそうです。
そういう風にして、一旦うれだその鴨が、逸見様の旦那様のところから金入さんに廻り戻ってきて、そこで、またそれを店さ出しておいたら、どなたか御用のある方がござってお上げした。そしたら午後にまた、「あっこれは福太郎屋(金入)さ持ってげ」とひょっくり同じ鴨が、お屋敷から返って来た。その日のうちに、三度も同じ鴨が行ったり来たりしたっず、というお話でございました。
二代で、金入さんが身代を大きしたのも、ただでないそういった沢山の到来物が総て金入さんに廻されで、元々のそんなお引き立てのゆえんがなどと、当時のもっぱらの町の風聞でございました。
逸見様と鴨廻しの金入のちょっと御主も悪よのお的なハナシでございました笑
最後にそんなお殿様から
屋号と苗字を頂きましたお話でございます。
その4
それから、いったい金入いう苗字は普通にない苗字で不思議に思っておりましたが、その由来についてはこう聞いでおります。
明治になって、町人も苗字を許されるということになったので、いったい何と苗字にしたらいいか、お知恵を拝借したいと南部さんにお伺いを立てたら、「商人だもの、金がどんどん入るごどあ一番いいんだ。金入とつけなさい」といわれで、金入となったということでございます。
そしてまた、「商いをするには印つまり商標がなくてはならない。そこで、それはただの柱を建てると転ぶごどもあるんだから、それを違い棒にして屋根にかけると、地震がゆっても大丈夫だから、屋根に違いでその上に大きな石を上げるというのも、いい趣向だと思うな。そうすれば、風吹いでも屋根が飛ぶこともないんだから」というので、屋根に石に違い算木が金入さんの商標になった訳だと聞いでおります。
そうした折の効果でございましょう。三代目でりっぱに出来上がり、現在丸光デパートの横、番町で事務機のカネイリとして商売してらっしゃるのは、六代目の方で大層ご繁盛しておりますもんね。
その4
それから、いったい金入いう苗字は普通にない苗字で不思議に思っておりましたが、その由来についてはこう聞いでおります。
明治になって、町人も苗字を許されるということになったので、いったい何と苗字にしたらいいか、お知恵を拝借したいと南部さんにお伺いを立てたら、「商人だもの、金がどんどん入るごどあ一番いいんだ。金入とつけなさい」といわれで、金入となったということでございます。
そしてまた、「商いをするには印つまり商標がなくてはならない。そこで、それはただの柱を建てると転ぶごどもあるんだから、それを違い棒にして屋根にかけると、地震がゆっても大丈夫だから、屋根に違いでその上に大きな石を上げるというのも、いい趣向だと思うな。そうすれば、風吹いでも屋根が飛ぶこともないんだから」というので、屋根に石に違い算木が金入さんの商標になった訳だと聞いでおります。
そうした折の効果でございましょう。三代目でりっぱに出来上がり、現在丸光デパートの横、番町で事務機のカネイリとして商売してらっしゃるのは、六代目の方で大層ご繁盛しておりますもんね。